ピアサポーターが語る
「私とがんサロン」

サロンとの出会い

20140331-note01  私は、10年前にがんの告知を受け、「死の恐怖」や「不安」を抱えながら、治療に専念しました。入院中や通院をしている頃は、医師や看護師さん、あるいは待合室でたまたま会う、同じ病室だった患者さんなど、病気を共有できる誰かと繋がっていました。しかし通院も一定の目途がたち、自宅での療養を行っていく中で、「辛い気持ち」はがんになったことのない家族や友人にわかってもらえないと思うようになり、周囲の人間関係に距離を置き、自分の殻に引きこもり、孤独や孤立感を深めて行きました。そんな日々を過ごしていたある日、友人から婦人科がんのサポートグループが札幌に発足したという記事が道新に掲載されている、との連絡を受けました。当時はまだ病気になったことを受け入れられず、病気に向き合うこともできずに毎日を悶々と過ごしていたため、出かけるのをためらいましたが、次第に、「同じ病気の人と話したい」、「気持ちを分かち合いたい」、「他の患者さんの体験談を聞きたい」と強く思うようになり、交流会に参加してみました。それがアスパラの会との出会いです。何度か交流会に参加しているうちに「辛いのは自分だけではない、同じような体験をした仲間がいる」と感じました。また再発や転移への恐怖から「あれもだめ、これもだめ」と制限して日常生活を送っていたため、ストレスをため込み、精神的に抑圧されていましたが、交流会のメンバーが「がんになっても自分らしく今までとそんなに変わらない生活をしている」と話しているのを聞いたとき、「普通でいいんだ」と、肩の力が抜け、気持ちを解放することができました。しだいに身も心も回復に向かい、自然に社会復帰していました。

浦河サロンに関わったきっかけ

20140331-bird01 私自身、交流会に参加して同じ体験をした仲間と話すことによって、「一人ではないんだ」と思え、なかなか病気を受け入れられなかった気持ちに折り合いをつけ、病気と向き合うことができました。このような体験があったからこそ、同じ体験をした者同士で気持ちの分かち合いや、支え合うことの大切さを感じたため、ピアサポーターとして昨年の6月から浦河地域でのがんサロンに携わっています。道内のがん診療連携拠点病院では、がん患者サロンが開催されていますが、それらは札幌をはじめ都市部に偏在し、地方の患者さんがアクセスしにくい状況になっています。患者会や患者支援団体も然りです。浦河サロンの参加者からも「札幌まで行くのは距離的に大変、今回、身近に集まれる場ができた事はとっても良かった。」、「誰にも話せない気持ちを聞いてもらって心が軽くなった。」、「体験者同士、気持ちの分かち合いや共感ができた。」、「日常生活の工夫や知恵を聞いて参考になった。」、「仲間との繋がりができた事で安心感が生まれた。」との声をいただきました。
 ぜひ、医療機関、自治体、患者やその家族が連携して、北海道内のどこに住んでいても、身近で気軽に相談や悩み事が話せ、必要な時にがんに関する情報が入手できる、ピアサポートの場をつくり、広めていくことが求められます。
記:たくちゃん


がんサロンとの出会い

20140331-heart01「二人に一人が、がんになるって聞いたけど私たちもそろそろ気をつけなければね。」と、友人と交わした何気ない会話がいかに呑気なものだったのか「がん」になって初めて知った。「がん」が現実となった時、私は得体のしれない恐怖に襲われた。それは元気な時には想像が出来なかったほど大きく暗いものだった。
がん告知の瞬間から深海に沈むかのように色彩を失った。医師の口は動いているのに声が聞こえない。感情はフリーズされ、これが現実か夢なのか区別がつかない。

 夜になると死の恐怖が自分の存在を誇示するかのように私を包み込んだ。しかし家族の前では明るく振る舞う自分がいた。なんで辛いって言えないのだろう、家族を心配させたくないから、受け止めてもらえないと思っているから、複雑な思いのなか孤独感が募る。仕事の整理、家の片づけ、予定していた行事の連絡調整、検査、入院、手術と忙しく時間が過ぎていった。その間、パソコンに向かい片端から「乳がん」を検索。情報量の多さと相反する意見があることを知り何が正しい情報なのか分からなくなり止めた。

不安を一人で抱えたまま入院する、誰とも話をしたくない。太陽を見ても悲しくなる。

 退院後、日常生活に戻るとがんになる前は出来ていたことが出来なくなっていて自分に自信を失う。友人に不安な気持ちを話しても「今だけだから大丈夫よ」との言葉がかえってくるだけだった。
3度目の入院の時だった。病室は315号室、不安な気持ちで病室に入り挨拶をする。あれ、なんだろう。いつものように挨拶をしただけなのに気持ちがほっとして居心地の良さを感じた。そして誰からともなく優しい声で話しかけてくれた。「明日は手術?私も手術の前の晩は不安で眠れなかったけれど手術の時にたっぷり眠れるからね。」そんな話から始まりいつの間にか私自身ががんになった事で起こった不安や悩みを話していた。「私もそうだったからわかるよ」そっと返してくれる。話していくうちに自分の気持ちが整理されていくのを感じ、受け止めてくれたことでがんと闘っているのは自分一人ではない事に初めて気づいた。

20140331-cat01「もう全身に転移しているけれど、やれるだけの事はしたいから」と道東から札幌まで毎月バスでやってきて治療を受けているがん患者の言葉に“最後まであきらめない事”の大切さを教えてもらった。がん患者同士が同じ立場で話して聴いて寄り添って、お互いの力が高まっていく不思議なパワーを感じた。手術や治療、後遺症対策、仕事、家族との関係、挑戦したいこと、終活、注射の上手な看護師さんベスト3、医師攻略法など話題は尽きなかった。そう、この病室は、まさしく「がん患者同士の支え合いの場」がんサロンとして存在していた。私にがんと闘う力と勇気を与えてくれた「がんサロン」との出会いでした。

 太陽からのエネルギーを感じられる日、がん患者の一人が「ともに戦おう同志よ」の言葉を残し退院していった。その日の午後、新しいがん患者が不安な表情でやってきた。もちろん私は優しく微笑み迎えた。「ようこそがんサロン315号室へ」
記:なおちゃん